コラム ― ポーランド・ドイツ、アウシュビッツの旅
クラクフ見学・ミュンヘン経由でベルリンへ
クラクフ市内見学、シンドラー博物館見学の後、ミュンヘン経由でベルリンに入りました。
案内はリチャードさん。大変日本語が堪能でしかも歴史の知識にあふれた方で、昨日のアウシュビッツもすばらしい案内でしたが、今日も同様でした。
旅はガイドで決まりますね。
クラクフは戦争のとき旧市内は爆撃を受けなかったので、城壁はじめ中世の姿そのままの建造物が残っており、街そのものが世界遺産になっています。
ゆっくりと見たかったのですが、広場の市の開店準備をしていり方がちらほらいる朝一番の見学。有名な15世紀の織物会館でも買い物もできませんでした。残念。
しかし、美しい町並みを堪能しました。
城壁が残っています。街は城壁に囲まれていました。
後ろの建物は15世紀に織物会館。美女?3人。
広告は決められた場所だけ。あれ、日本語を見つけました!なんだろうな。
シンドラーの博物館は、シンドラーの会社の事務所の建物がドイツの戦争の歴史の博物館になっていました。大変狭い通路や部屋を巧みに使い音声も入れたりあるな展示でした。シンドラーその者のことは余り多くを語っていませんでした。
シンドラーはほかにもたくさんいたからかもしれませんね。
ユダヤ人を命がけでかくまった人もたくさんいたわけです。
改めて、830人いたユダヤ人の8わりの600人を大虐殺したナチスの狂気の沙汰を見ました。
ユダヤ人だけではなく、障碍者、病気のもの、ロマシンティなど、邪魔なものは皆殺しにする異常さがどうしてとめることができなかったのか、疑問もあります。
当然、国連、米英も知っていたはずだからです。
さて、比較的小型のルフトハンザに乗ってミュンヘン経由ベルリンへ。
さすが首都ベルリン、落ち着いたとたんに大きな街であることを実感。ホテルの向かうバスから見た中心市街地は、緑が多く美しい町並みで、ビルだらけの殺伐とした風景ではありませんんでした。
国会やその他の公的建築物も古い歴史のあるものです。エネルギー政策で建物の高さを制限していることも自然に調査をしていました。
国会を見て「あ、笠井亮さんがエネルギー視察で着たところだ!あそこのドームで光を集めるんだった」と笠井さんの著書を思い出しました。
夕食はレストランでゆっくり。ビールを楽しみました。ドイツではワインなどに比べてビールは比較的やすくビッグジョッキ(といっても400CC)で2ユーロでした。約240円くらいかな。
料理はすでにもてあましています。スープはおいしい。メインディッシュの大きな皿には、牛肉の煮込みとじゃがいも。丸ごとのジャガイモが5個も乗っています。肉も私には半文の量でいいですね。
ああ、おひたしが食べたい!
インターネットがうまく通じません。ワードで書いています。
インターネットが通じました。写真は一部貼り付けました。
(2015年5月24日 記)